★毎年,節分には、星まつりを開催いたします。
★福井大仏観音・西山光照寺 <家内安全・厄払い等に祈願>ご希望のお方は、お申し出ください★

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福井大仏 住職
「福井大仏観音・西山光照寺<本殿>」
福井大仏観音・西山光照寺
住職の法話
 福井県福井市花月1丁目1-26 
 
0776-24-3869  FAX 0776-25-6630 
 


マウスを写真上に

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              令和6年11月の行事:天台会 

天台会  令和6年11月24日(日)


   午前10時より    大乗妙典読誦 (観音経)

    
おわって   法話  中道院ご住職

   午前11時半ごろより  コーラスYOU 演唱会

   午後1時半より  天台大師ご和讃 読誦

当山の年間行事しめくくりの法会です。
この法会では天台大師ご和讃を奉読します。
昨年から新型感染症の扱いが5類に移行していますので、以前のように、お斎を挟んで午後に天台大師和讃を奉読します。
感染症対策を怠ってはいけませんので本堂内ではマスク着用をお願いいたします。

日本国内(北陸地方)では大地震と水害の大災害が発生しました。
(被害に遭われた方々には心からお見舞いを申し上げます。)
被災した身近な人々、苦難に遭う人々のために何をすべきか、私達はその自覚を問われています。

被災地ではライフラインが甚大な被害を受け、長期間、孤立する地区が多数ありました。
一方、中東、東欧の紛争は未だ終息が見られず、 特に中東の紛争地では多くの人々が生活の支援を受けることが出来ず苦しんでいます。
国内の大災害の被災の様子が報道されるのを見ながら、紛争地で苦しむ人々の姿が二重写しのように心に浮かびました。
海外の紛争を他人事のように考えていなかったか、いま私達は自省すべき時にいるのでは無いかと思います。

さて、天台大師が活躍された当時は数十年間に王朝交代が何度も起こる、大きな歴史のうねりの中にありました。
天台大師がお生まれになった当時は南北朝時代(南朝の「梁」) で中国はいくつかの国に分かれていました。

大師は「梁」が「陳」に滅ぼされ、王朝が変わる混乱を目の当たりにされ、栄枯盛衰に無常を感じ出家を決意されたと伝えられています。

大師が悟りを開かれた頃は「陳」の時代でしたが、やがて「隋」に王朝が変わります。
大師はそれぞれの王朝の王さま達から篤い帰依を受けました。

陳の時代、大師が都のお寺で説法をされていた時、陳の皇帝が高僧を介して
「仏は本当におられるのか。仏の知恵はこの世に一体どのように現れているのか。」
このように質問をされました。
絶大な力を持つ皇帝も、権力の奪い合いや他国との争いが絶えない時世に苦悩し、このような問が発せられたのだと思います。

大師はこの質問に対し次のようにお答えになりました。  

「この世はこころを映し出した世界であり(仮)、この世には人間の欲によって乱された不安定な姿と、
 仏の慈悲のこころ(空)を映し出した安らぎに満ちた姿の二つの姿が現れています。
 この正邪の区別をつける方法が中道の法です(中)……。」

平成27年の天台会

そして天台大師は慈悲の心を理解し生活に顕すこと(王であれば政治にこれを活かすこと)を説かれたそうです。
(空仮中の三諦、注1)
公平で偏らない「中道」を理解し生活の中に活かすことは、慈悲の心を育むことに繋がって行きます。

「世界はひとつ、人類は皆きょうだい」(注2)
少し脱線しているかも知れませんが、昭和40年代から50年代にかけて、この言葉がTVCMに盛んに流されていた事をふと思い出しました。

この言葉の意味に思いをめぐらせて見ると「公平で偏らない中道の心」に深く通じていることが理解できます。
当時(昭和40、50年代)は平和で豊かな時代で、私もそうでしたが、この言葉の重みを理解していた人は少なかったのではないかと思います。
この言葉は人間の理想のあり方を表していますが、これを形に表すための努力を私達は怠っていたのかも知れません。
人々の利己心が極まり、争いと闘争の困難を治められなくなっている今、この言葉の真意に目を向けるべきでは無いかと思います。
令和6年11月18日

        西山光照律寺 住職

(注1)
一般の仏教解説書の中には“空”を「空虚な実態の無い物」と記しているものがありますが、
ここでは「物質世界(色界)の営みを支えている慈悲のこころの世界」という解釈を採用しています。
”仮”は因縁因果によって変化変滅が繰り返されている「この世」を意味しますが、「この世」は自然法則によって秩序付けられている世界でもあります。
この法則を成り立たせている存在こそ”空(慈悲のこころの世界)”と言うべきでしょう。

(注2)「世界はひとつ……」と書きましたがTVCMでは「世界は一家……」としていたかも知れません。
現代では「家」は愛情で結ばれた家族が営む社会の基本単位ですが、日本の封建時代では「家」によって大名家の下で運営される武士団の組織を表す場合がありました。
現代では誤解は少ないと思いますが、上の本文のように記しました。
「地球はひとつのいのち、人類は皆きょうだい」
こちらの方が仏教(中道の教え)の理解により近いと思います。


 お盆の行事 永代経(えいたいきょう)について・・・

大抵の檀家寺では毎年7月中旬に新盆の行事をおこないます。

お盆の三が日(13日?15日)には僧侶が各檀家をまわって仏壇に経文を供養し,
またこの日の前後に日を定め、亡くなられたお寺の檀越(だんおつ)だった方々、

大抵は檀家のご先祖様達ですが、この方々のあの世での冥福を祈るため、お寺で行事を催す所が多いようです。
私共の住む福井では、新盆から一か月遅れた8月13日から15日の間にお盆の行事を行う所もあります。

当山では、7月上旬頃に檀家の方々を集めて亡くなられた先祖の永代回向(えいたいえこう)の行事を行います。

これを永代経と呼んでいます。

1.回向について

現代の伝統仏教(私達の宗派)では、この世を去った先祖の霊達のあの世での冥福を祈ることを、

回向(えこう)と呼んでいます

今は同様の意味で供養と言うのが一般的かも知れませんが、

かなり古い時代からこの”回向”が正式な言葉として使われています。

しかし、元々この言葉が意味していたものは

”私達の先祖がこの世で生活していたときに行じることができなかった善行を、

子孫の私達が代わって行うこと”でした,

これが何故、あの世の先祖の冥福につながるのか。

仏法(大乗仏教)が説く処によりますと、

私達がこの世に生きる目的の一つは、善の行い(おこない)を為していくことによって、

この世を煩悩による苦しみの世界から安らぎの仏国土へと調和していくことです。

この世は原因と結果が連続してつづいていく世界です。

たとえば、

この世に住む私たちには生活にともなう苦労が次々と現れてきますが、

困難が生じたときに人間どうしが互いに譲りあい、協力しあい、

助けあうのであれば、その困難は解消して行くことでしょう。

しかし、現実はそれぞれが己の立場を優先し、助けあう事を忘れて争うことがしばしばです。

互いにうらんだり、ねたんだり、誹りあったり、怒ったり、正しい判断ができず愚かな考えに陥ったり、

このように自己本位の思いで考え行動することは、己の苦悩の原因をつくりだし、

その結果は己自身が受け止めなければなりません。

この世に存在する物はすべて互いに働きあいながら運動をつづけています。

物質は仮にある姿に形をとどめていても、いつか時がたてば、他の姿に形を変えていきます。

またこの世に存在するものの運動をつぶさに眺めてみますと、

それぞれが何らかの循環運動をおこなっていることが分かります。

そして、自然界に存在するものすべてが、これらの運動をとおして、互いに助けあい支えあいして、

自然の安定した営みを維持していることがわかります。

たとえば、

私たち生命に無くてはならない自然界の雨の恵みは、大気中の水蒸気と大地を流れる河川.,

そして大海の水の循環によって現れるものです。

さきほど述べましたように、私たち生命にとってこの世は己の為した行為の結果がいつか己自身に帰ってくる世界です。

善には善の結果が、善ならざるものには善ならざる結果が、帰って来ます。

このように、この世の物質のみならず意識の働きの世界を含めて、

自然界のすべての存在が循環運動をつづけています。


これを仏教では
輪廻転生(りんねてんしょう)と呼んでいます。
私たちが自我欲望をもとにして思念し行動することは、己自身の首を絞めることにつながっていきます。

私たちが自分本位のこころから離れ、善行を積むことは、大自然界の調和を築き上げていくことであり、

この世に生きる目的を果たしていくことである。このことがお分かり頂けることと思います。

その善行の結果は私達の心に安らぎとなって現れてくるものです。

そしてめぐりめぐって帰ってくるその功徳は、これを行った本人だけで無く、その家族や身近な人達に、

そしてあの世の先祖にも届いていくことになります。

つまり善根による功徳を己だけで無く先祖に「回し向ける」ということから、”回向”と呼んだわけです。

2.
施餓鬼会(せがきえ)
について

当山の永代経では「施餓鬼会」も行います。この行事もあの世の精霊達の冥福を祈る行事ですが、

こちらは、死んでからあの世の鬼になった魂に、法(仏法)とその光を供養する行事です。

人は死んであの世に行くときには、生きていたときの生活に応じた魂の世界に行くと言われています。

執着から離れ、正しい道をあゆみ、自他の差別の無い広い豊かな心を育んだ人々は、
その安らぎの心に応じた天上の世界へ昇っていきます。

しかし自我欲望に溺れ、人を人と見ない、心を忘れた物質中心の生活を送った人々は、

その心に応じた苦しみの世界に落ちて行きます。

特に欲望の強い足ることを忘れた生活を続けた人々がこの世を去った後に行く世界は「餓鬼道」と呼ばれています。

餓鬼道に堕ちた精霊に正道を説き、天上界からの光明を与え、

一刻も早く地獄の生活から抜け出せるよう手助けをする、いわゆる法を布施する行事が施餓鬼会です。

施餓鬼の由来には諸説ありますが、いずれもお釈迦さまがインドにご在世だった当時

お釈迦さまやその弟子達が、地獄に堕ちた精霊に法を説き、

地獄の生活から救って行かれたエピソードが元になったとしています。

ひとつはお釈迦さまの十大弟子のひとりであるモッガラーナ(大目連「だいもくれん」)尊者のお話しです。

モッガラーナ尊者が阿羅漢(アラハン)の悟りの心境に達したときに、

己の母親が餓鬼道にいることを知り、お釈迦さまに相談したところ、

餓鬼道にいる母親の代わりに人々へ布施行をなしていくことをお釈迦さま勧められたエピソードです。

他には鬼子母神(きしもじん)のお話しもあります。

これは人間界の子供をさらってはその命を奪っていた訶梨帝母(かりていも)が自身の子供を失う悲しみにあい、

お釈迦さまの教えを受けて悔い改め、今度は身寄りの無い子供たちに布施を行うようになったというお話しです。

この鬼子母神には、そのモデルになった実在の人物がおられたそうです。

それはお釈迦さまの弟子であった比丘尼(女性の出家修行者)のひとりで、

実際に親を失った孤児を育てる慈善活動を熱心におこなっていた方だったそうです。

おそらくこの方が出家された動機がご自身の子供を死なせる悲しい出来事であったということから、

鬼子母神の物語が創作されたのであろうと思います。

.お釈迦さまの正法

施餓鬼会の由来になった物語のように、仏典にはあの世の精霊が登場する物語が多数遺されています。

しかし、鬼子母神のエピソードのように、

後の創作によりあの世の精霊が関わる物語に書き改められた物も幾つかあるようです。
さて、お釈迦さまが説かれた仏法は如何なるものだったのでしょうか。

あの世について実際にはどのように説いておられたのでしょうか。

釈迦さまが説かれた仏教の根本は、生きている私たち人間が、生老病死の苦悩から離れ、

調和された生活を営み、安らぎの心を得るための方法(いわゆる四諦八正道)でした。
お釈迦さまは弟子たちに、仏法の実践によって、煩悩に翻弄される執着の心を修正し、

偽我を捨て、大自然の慈悲の心に通じた真実の我(真我)の自覚を得ることを説かれました。

まずは安らぎの心境を己のものとすることであると説かれ、

煩悩から解脱しない心境のまま、あの世の存在や眼に見えない世界に興味を持つことは戒めておられたようです。

まして一般の在家の人たちに、あの世の精霊を拝んだり祭ったりせよなどと説かれることは、一切ありませんでした。


ただ、ある段階の悟りの心境に至った弟子たちにはあの世についても説いておられたようです。

天上界の如来・菩薩は、お釈迦さまが在世の当時のインドでは梵天と呼ばれていましたが、

仏典には、お釈迦さまがあの世の梵天らと仏法について語り合う物語が著されています。

他にお釈迦さまやその高弟の方々が餓鬼(がき)、羅刹(らせつ)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)
などの地獄界の精霊に法を説く物語など、あの世の精霊が登場する説話が仏典に多数遺されています。

弟子のひとりが「死んだらどうなるか」とお釈迦さまに質問したところ、次のようにお答えになったことが記録されています。

『死後の運命』

この世は無常であり、この世に存在する物はその形を永遠にとどめることはない。

死んだ者の身体は土にかえり、自然の元素の一部となる。そして他の動植物の身体の一部に形を変えていく。

しかし、長い間信仰を修め、仏法を学び実践し(戒を守り)、
執着から離れたその人の心は、死んでから上方に赴(おもむ)き、すぐれたところへ赴く。

お釈迦さまはあの世の存在を否定しておられませんでした。

以上、見てきましたように、本当の回向(先祖供養)とは、私たちが今の生活に仏法を活かし、

身近な人々との安らぎの生活を築く努力を続けていくことです。

遺された子孫が幸福な生活を営むことを先祖の方々が一番喜んで下さることでしょう。

子の健康で安らぎに満ちた生活が一番の親孝行であるのですから。  

                                                          福井大仏・西山光照寺住職   


 節分星まつりでいただいた質問
「福井大仏に寄せられた質問:九曜星について (つづき2)
   
当山では毎年の節分に星祭を執行します。

このお祭では、
九曜星(日曜星、月曜星、水曜星、金曜星、火曜星、木曜星、土曜星、 計都星(けいとせい)
、羅喉星(らごうせい)の九つの星)を供養して参詣者の息災・ 延命増益を祈ります。

下記の二つの記事では九曜星を解説しています。
九曜星について
http://oshou-fkdbt.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-f452.html

十年以上もかなり昔ですが、星祭の準備を行っているときに、
当山の檀信徒のお一人か ら九曜星について質問を受けたことがありました。
「気学の九星と九曜星は同じなのではないですか?」  

実はこのときはこの方への説明は控えざるを得ませんでした。
私の場合、
“九曜星”は先代住職や師事した老僧方から仏教・密教の伝授を受ける中で 学んだものです。

師匠(先生となるお坊さん)から
弟子(生徒となるお坊さん)に伝える教えの一つとして扱う建前になっています。
密教でとりあげられる星々としては、“九曜星”の他に北斗七星、二十八宿などがあり ます。

この質問を下さった方は、
密教でとりあげる星々と他の占いに使用される星とを混同し ている訳ですが、
体系立てて説明しないと更に誤解されるかも知れませんので、
いつか詳しく説明する機 会を作ろうと考え、この時には説明しませんでした。
純粋に文化や歴史を議論する立場で説明するのなら問題無いと思いますので、
私の考え になりますが、これについて少し記しておきます。

発祥の経緯から見て九星と九曜星は全く違うものです。

九曜星の中で用いられている計都星と羅喉星は上にリンクを貼った頁に記していますように、
主にインドで用いられているものです。

一方、気学で用いる九星は一白、二黒、三碧、……等と呼称するそうですが、
中国で発明されたものです。 九曜星と直接のかかわりはありません。
気学は中国から日本に輸入された九星を、更に日本流にアレンジしたものであると聞い ています。
方位の吉凶判断に用いられているのを良く目にします。

他に、九星や九曜星とも違う、“九宮”と呼ばれるものもあるそうですが、
それぞれ発祥の歴史は違うそうです。
九曜星は他所から中国に輸入されたものと考えられますが、
しかしその吉凶判断は中国 文化の影響を受けているのは確かなようです。

他のお寺や神社等でも星祭を営んでおられる所が多く、
それぞれ九曜星の吉凶表を公開 しておられます。

これらを拝見しますと、
たとえば日曜星を○吉星(大吉)、金曜星を?吉星(半吉)と している所がほとんどです。
日曜星が該当すると思われるのは太陽、金曜星が該当すると思われるのは金星ですが、
インドでは太陽は吉星とされておらず、金星はより吉兆の強い星とされているそうです 。

また九曜星の吉凶の説明に中国で使われる
洛書(亀の甲羅を模した方位の図)を載せて いる寺社もあります。
当然ながらインドは洛書を用いません。ですから、現在使われている九曜星の吉凶表は、
九曜星がインドから中国に伝わった後 、
仏教の概念と中国で発明された吉凶の判断法を合わせて作られたのはないかと思いま す。

なお月曜星、木曜星を吉兆の強い星としているのはインドも中国も同じであるようです 。
しかし良く考えてみると何かがおかしい。

ここで注記しておきますが、
計都星(けいとせい)と羅喉星(らごうせい)は架空の星で、
他の七つの星は実在する天体をあてたものです。
自然界に存在するものはすべて大自然の生命の営みを支えているものです。
多くの宗教は自然界に存在するものは造物主が作り出した物で
、その存在そのものが尊 いものであるとしています。

星の組み合わせで吉凶を云々するのは今はポピュラーな占法ですが、
自然界に存在する 尊い物を、あれは吉これは凶と簡単に分けてしまって良いものでしょうか。

太陽系から、突然、太陽そのものが無くなったらどうなるか、想像してみればすぐ判り ます。
太陽が無くなれば、即、この世の破滅をむかえますが、
私達に無くてはならない太陽を インドでは凶星としています。
これは疑問に感じます。

惑星や月にしても、
惑星(水、金、火、木、土)や衛星(月)にはそれぞれ大きさの違 いがあり、
星と太陽、星と衛星の距離も反映して星の中での気候的な環境の違いがあります。
星々には強い個性がありますが、これらは自然法則によって定められているものであり 、
これらが在って太陽系は安定して存在しています。

人間の営みの中に現れる出来事を星々の性格や個性で象徴的に表すのは、
一つの表現方 法としてはあり得るかも知れませんが、
地上の私達人間の狭い基準でこれは良いこれは 悪いと天空の星々に吉凶を割り振るのは、
やはり無理があります。
計都星(けいとせい)と羅喉星(らごうせい)は日食にかかわるものなので、
これらを 太古の人達が凶星としたのは許容するとしても、、、です。

一般に公開されている吉凶表の象意がどれほど正確なものなのか、察しがつくところで す。
実際、私が実例を見て実感する所では合わない場合が間々あります。
つまり、はずれる場合があります。
しかしながら、九年の周期的変化の存在を実感できる具体例は身近に良く見られます。

上にリンクを貼った頁にその中のいくつかを紹介しています。
他に具体例を一つご紹介します。
あくまでも解説のための参考例ですから、こうゆう例もあるのかしら程度に考えて下さ い。

★事例 A.H. 氏(D国の独裁者)
今年2月、旧USSR.を構成していた国の間で大きな戦争が始まりました。
これを世界大戦に拡げてはならないと、仲介に奔走する国が現れていますが、
激しい戦 闘が止む気配はありません。  

そう言えばと思い、
20世紀に大戦争の惨禍を起こしたこのA.H. 氏 の九曜星のリズ ムを調べてみました。

A.H. 氏は西暦1889年生まれで没年1945年、D国の全体主義的な統治をめざす 政党をつくり、
この国の総統の地位にまで上り詰めた人です。  
D国は第一次世界大戦に負けて国が荒廃していました。

この方は総統に就任してしばらくは国の再建に邁進し手腕を発揮していきます。
しかし、他国を征服し専制的に支配する欲望にかられ、第二次世界大戦を起こします。
この戦争は数千万もの人々の命を奪う大惨事になりました。

                           ★この方の経歴を見てみます。
                   上では九曜の吉凶表は正確では無いと記しましたが、
               計都星● 、羅喉星● 等には吉凶 の●をつけました。ご了解ください。

1921年ごろ N党の党首 かぞえ年33歳 火曜星
1923年 D国内で一揆をおこし失敗 かぞえ年35歳 月曜星
1933年 D国の首相に就任 かぞえ年45歳 木曜星
1934年 D国の総統に就任 かぞえ年46歳 羅喉星●
1939年 D国がP国に侵攻し第二次世界大戦をおこす かぞえ年51歳 火曜星
1943年 1941年から侵攻していたU国で大敗 かぞえ歳55歳 羅喉星●
1945年 D国が降伏 かぞえ年56歳 水曜星  

この方は、日曜星の年から火曜星の年にかけて、生命力の強い時期に政党の党首とな り、
木曜星の年に首相に就任します。
(火曜星は吉凶表では凶星●としていますが、
人によっては非常に精力的に活動できる 年で、むしろ吉としても良い場合が多い星です。)

しかし歴史に詳しい方は良くご存知のように、
人種の平等を否定する極端な人種差別主 義、生命の尊厳の否定など、
この方は間違った理念にとりつかれた人でした。  
このような間違った理念に昂(たかぶ)りながら羅喉星●の年に総統に就任します。

火曜星の年に自ら戦争計画を指揮して第二次世界大戦をおこし、
始めは成功しているよ うに見えましたが
、慢心して立案した作戦が災いし羅喉星●の年にU国で大敗を喫しま す。  
その後は歴史に詳しい方が良くご存知の結果を招きました。  

これはある特定の人間により人類が災難を受けた凶例ですが、
この方の場合も、
                                       自ら 環境を大きく変えた時期に計都星● や羅喉星● がめぐり来ています。   
               
文責 西山光照寺 住職 令和4年4月8日 


 福井大仏西山光照律寺住職 白崎良演のブログ

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